石井ゆかり窓越しおいたちインタビュー

10/1 石井ゆかり  窓越しおいたちインタビュー

( 2008年9月30日更新 )

ヒルトン会談

8月末、大阪に出張した。

そのとき、このコラムに誘ってくれた福浦さんと、

このサイトの運営メンバーである、かさいさんにお会いした。

福浦さんとは過去にも何度か会っていたが、

かさいさんとは初対面だった。

 

 

2人とも、2人のお子さんがいる。

お子さんの年も幼稚園から小学校低学年と、同じくらい。

でも、お2人の印象はとても違っていて

コントラストが面白かった。

 

 

福浦さんは芸術系の学校を出ていて、イラストを描く人だ。

福浦さんのイラストはいつも、とてもカラフルで

おいしいものやかわいいものがたくさん登場する。

福浦さんは、ハチミツとかクリームとかがぎゅっと濃く詰まった、

でもちゃんとふわっとしたマシュマロみたいな印象の人で、

いつも、人にあげるための手作りの何かを、

カバンにたくさん入れて持って歩いてる感じがする。

 

 

一方、かさいさんは、

シャープな、バネのような感じのする方だった。

言葉に論理的なカラーがあって、

でもその論理は冷たくなくて、むしろホットだった。

弾力があって、引き締まっている感じだ。

スポーツがお好きで、今も相当やっているということだったが

まさに、と納得させられる、キレの良さがあった。

 

 

まずはご挨拶をして、そのあと、

サイトの話から自然に、お二人のお子さんの話になった。

いや、お子さんの話、ではなくて

多分、母親ではない私がいたからだと思うのだが、

「母親じゃない状態から、母親である状態への移行」

にまつわるお話になった。

 

 

かさいさんは、家庭を持ったり子供を持ったりすることは

当初、ぜんぜん頭になかったそうだ。

子供が欲しいとか、こういう家庭を持ちたいとか、

そんな理想や希望は全くなかったらしい。

突然子供ができて、産むことにしたけれど、

そのことへの期待や希望はあまりなくて、

むしろ、とまどうような感じだった。

 

 

子供ができる前は、

恋愛したりセックスしたりということがあって、

それはスリルみたいな、やらしいことというか、

基本的にはちょっと隠しておくようなことですよね。

それが、産婦人科に行ったとたん、

突然「普通の世界」みたいになるんです、

人間の世界になるというか。

ロマンスだったり、ドキドキしたりしていた世界のことが

いきなり、保険証や医療の世界になる、

ここで呆然としました。

 

 

たしかに、そうかも、と思った。

恋愛して、こっそりセックスをして、

それはたとえば、親とかには絶対に見せない世界だ。

でも、お腹に子供がいるとなった瞬間、

そのことは社会的にオープンになる。

今までナイショでしてたことが突如、

親兄弟や会社の人にまで大々的に公開できる情報となる。

道行く人からも大きなお腹が見えるし

子供が出来たということをおおっぴらに語れるようになる。

個人的な感情世界で起こっていたことが

いきなり、客観的現実として社会化され、公開され、

一般的な出来事として取り扱われる。

これはたいへんなギャップだろう。

 

 

かさいさんは、このことについて、

一人目の時はそれに反抗したかった、と言った。

部屋も、全く子供用にしなかったんです。

おもちゃとかも出してはおかず、

いままでどおりに、大人の部屋のままにしてました、

でも、二人目であきらめました、と笑った。

 

 

私は、以前、comoというお母さん向けの雑誌で

占いの記事とコラムを書いていたことがある。

それで、ママでもないのに、毎月この雑誌が送られてきていた。

ナカミをぱらぱらと見ると、

そこには子供がいるなんて思えないような

少女のような「ママモデル」たちがたくさん、写っていた。

ノンノとかセブンティーンとか

そんな雑誌に出てきそうな「女の子たち」が

かわいい服を着てポーズをとりながら微笑んでいるのだった。

その微笑みは、「母親」の微笑みではなくて、

まだ男の子と恋愛してドキドキすることを夢見ている、

少女たちの微笑みに見えた。

 

 

母親になったからといって

ときめく心を持つ女性であることが終わるわけではない。

だけどこの、少女のような「ママモデル」たちの表情は

私を否応なく不安にさせた。

彼女らのほうがまるで

誰かに守り育ててもらいつつある子供でありたがっているように

私には、見えたからだ。

受け止める重厚な懐や、毅然とした思考する態度は

そこからはまったく伺えなかった。

ただ「まだ少女でいたい」という思いだけが

ひしひしと伝わってきて、辛かったのだ。

あれも一つの「反抗」ということなのかなあ、と

ふと、思った。

 

 

出産の時の話はおもしろかった。

福浦さんとかさいさんではぜんぜん、お産の話がちがうのだ。

「大変だった」

という点だけは共通しているのだが、

時間のかかり方やタイミングなど、本当にいろんなことが違う。

福浦さんのときは、赤ちゃんが勢いよく出てしまうので、

看護婦さんたちがゴールキーパーのように前に立っていたらしい。

陣痛では痛みのあまり「暴れました」と笑っていた。

かさいさんは、陣痛と出産時の痛みを思い出して

「介錯」の意味がわかった、と言った。

切腹する武士には、首を切り落としてくれる介錯がつく。

とどめを刺すと同時に、そこで痛みは終わる。

つまり、介錯してほしいほど痛かったのだ。

 

 

2人に共通しているのは、

子育てマニュアルや専門家の意見などを、

あまり気にしていないことだ。

気にしていないというか

その弊害を受けている周囲のママたちを心配しているような感じがあった。

私の好きな「赤毛のアン」シリーズに、

アンが母親になった頃の子育て場面が描かれている。

彼女は大卒のインテリなので、子供を産む前はあれこれ、

育児書を研究したらしい。

でも、実際の子育ての現場に入ると

「そんなのは全く間違っている」

と、育児書に書いてある方法論を瞬時に放棄した。

彼女が読んだ本には、

赤ん坊にいわゆる「あかちゃんことば」を使うのはダメ

と書かれてあった。

子供が生まれる前、理想家の彼女はそれを実践しようと決意していたのだ。

でも、出産直後、その決意を簡単に捨てた。

その「理論」が間違っているのが、体で解ったのだろう。

 

 

かさいさんは臨床心理学を専攻していたが、

今は学生時代の文献などは見ないという。

時々、読みたくなるけれど、読まないですね、

読むと、今目の前にあるものがわからなくなる気がするんです、

と言った。

そのことは、とてもよくわかる気がした。

福浦さんもよく、そんなことを言う。

「育児書とかには、そんなことしちゃいけないって書いてあるけど、

現実には、そんなん、言ってられないじゃないですか、ねえ」

と言って、すごく明るい、土台のある笑い方で笑う。

彼女がそう言って笑うとき、

私は、「何をするか」ではなく、

「その心のあり方」が問題なんだ、と思う。

 

 

たとえば、もっと別の人間関係の中で

「愛嬌がある」とか「憎めない人」とか言う言い方がある。

同じことを言われても、腹の立つ人とそうでない人がいる。

それは何故なのか、と考えると、おそらく

何を言ったかとか、なにをしたかではなくて

その人が対象や物事に対して、基本的にどういう態度でいるか

がネックになっているのだろう。

それは、自他を肯定したり尊敬したりしているかとか、

何を優先して、何を大切にしているか

というところにその中心がある。

 

 

かさいさんは、子育てについて

「私が育ててるから大丈夫なんだ」と思ってるんです

と言った。

彼女の旦那様は、その言動に対し、

それはモンスターペアレンツと呼ばれる人々と同じ態度では

と危ぶんでいるらしい。

でも私はまったく、そういうふうにはおもわなかった。

更に言えば、福浦さんについて私がいつも感じるのも

この人が育ててるんだからぜんぜん大丈夫だろうな、ということだった。

この「私だから大丈夫」というのは、決して

「自分が全て正しい」という意味ではないのだ。

真に主体的・能動的であって自分を肯定できることと、

自分に無批判で依存的・敵対的であることは違う。

 

 

ジャガイモ自体がまず、安全で滋養のある土地で作られていて

それで、味見する時にちゃんと味を判断できる舌があれば、

ジャガイモをどんな形に切ろうと、どんな大きさに切ろうと、

おかわりしたい、おいしいカレーができるのだ。

そのカレーは繊細な味ではないかもしれないけれど、

でもおかわりしたいと必ず思えるおいしさに

いつも安定的に仕上がる。

それは神経質な方法論からそうなるのではないし

隠し味がそうしてくれるのでもない。

ただその人が作るから、そうなるのだ。

その人がおいしいと思うものが

子供にとってもおいしいから、そうなるのだ。

その味は計量カップで出すのではない。

福浦さんが笑うと、いつもそういう安定感を感じる。

福浦さんの子供たちは多分

そんな安定感に守られ、育てられているのだと感じる。

もちろん、彼女だって迷うことも揺れることもあるだろう。

でも、彼女が悲しんでいるときに作ったカレーだって多分

やっぱり、おかわりしたい、いつものおいしいカレーなのだ。

これは単なる比喩だけど

でも、そういうことを、ずっとお話を聞きながら、感じ続けていた。

 

 

お話に出てくるエピソードは

大変だったり痛かったりすることが多いのだけど

でも二人ともすごく楽しそうに話していた。

多分、ラクだったり簡単だったりすることが「楽しい」わけではないのだ。

大変で夢中でツライのが、ほんとに「楽しい」ことなのだろう。

子育てのおもしろさ、といわれることはたぶん

この大変さ自体の中にあるのかもしれない、と思った。

スポーツでも仕事でも何でも、

本当に面白くてのめり込めることは、

すごく大変なことばっかりなのだ。

 

 

この会合はほんの1時間半くらいのことで、

実は、当初から記事にしようとは思っていなかった。

コラムを書かせて頂いているサイトの主催者様と

まずはご挨拶してちょっと打ち合わせを・・・

ということだったのだが

お話を聞いているウチになんだか

ネタにしたいことがいくつも出てきたのでメモを始めた

という流れだったので

私としては、だいぶ物足りなかった。

なので

次回は「インタビュー」を前提で、

時間をとって本腰でお話を聞き出してみたい!

こっそり思っている。

 

 

そんなわけで

お二方、またよろしくお願いいたします!

 

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