石井ゆかり窓越しおいたちインタビュー

11/1 窓越しおいたちインタビュー 石井ゆかり

( 2008年10月31日更新 )

 

一緒に仕事をしている、Pさんという女性がいる。

30代で、小学生の息子さんがいる。

その女性と打ち合わせの最中、

ぽろりと出てきた話。

 

 

彼女はイベントの企画などをしながら、

ほかに、自分でも子供たちに教える仕事をしていて、

たくさんの子供たちに触れながら生活している。

忙しい毎日の中で、やっぱり

子供と過ごせる時間を

大切にもし、そのことについてたくさん、考えている。

おそらく、迷いもあるし、悩んでいる、ともいえるのだろう。

彼女は意欲的で強い女性だ。

自立していて、明るい。

でも、そういう女性はみんな、

すごくピュアに、迷ったり悩んだりする。

その迷いや悩みは、その人を動かさなくすることはない。

彼女らは動きながら、ずっと迷いを抱えている。

その迷いと悩みに、時間をかけてつきあっていく。

 

 

彼女には、お義母さんとのあいだにちょっとした軋轢がある。

お義母さんは、彼女が忙しく働いていることを

快く思っていない。

子供がかわいそうだ、と思い、口にも出す。

だから彼女は、両親とも、義母の家とも、

どちらからも離れた場所に家を構えた。

 

 

義母の言うこともわかるんです、

でもそうじゃないだろ、って言いたいけど

私はすぐに謝ってしまうんです、

義母は私が謝るともっと腹が立つみたいで、

謝るんじゃなくて行動で示してほしい、

このままじゃかわいそう、

とその都度言われて、たまに、泣かれてしまうこともあるんです。

 

と彼女は言った。

 

 

でもそれは、いいんです、

と彼女は言う。

それは義母と私の問題だから、いいんですが

こまるのは、義母が息子をかわいそうだと思うだけじゃなくて

息子にまでそう言うんですね、

お母さんがいなくてかわいそう、って。

それを聞くと、

いつか息子は自分で自分をかわいそうって思ってしまうんじゃないか、

と思えて、それがいやだし、辛いんです。

 

私は、Pさんの気持ちを想像して

胸が痛くなった。

それは、たしかに、いやだろう。

子供は、あなたはかわいそうなんだよ、と言われたら

そう思うだろう。

子供は大人が思うよりずっと

大人の価値観を吸収している。

そのことはだれもが体験していると思う。

大人になって、別の価値観に触れたとき

自分が親や周囲から呼吸のように吸い込んできた価値観の特異さに

愕然としたことが、誰だってあるだろう。

 

 

お母さんのせいで、僕はかわいそうなんだ、

と思われたら、どんな気がするだろう、と思った。

それは、ものすごく悲しく、辛く、

仕事なんか全部辞めて一緒にいてあげたいという気持ちにも

なるだろうな、と思った。

自分がどうするべきなのか、大きく揺らぐだろう。

 

 

彼女は、私が思うに、愛情深い人だ。

私は彼女の家庭を見たこともないし、知らないから

無責任な判断はできないわけだけれど

でも、彼女は少なくとも

愛することに一生懸命になれる人で

それが、仕事にも現れている。

彼女は自分を「作る」ことができないタイプの人で、裏表がないのだ。

仕事は仕事、家庭は家庭、と割り切らない。

だから仕事の打ち合わせでも、いつも彼女の生活の個人的な話が出て、

そこから、仕事の内容の現実的な効果を考え出していく。

 

 

それでも、彼も寂しいだろう。

私の両親は私が子供の頃、別居して、それから離婚した。

あの頃は、寂しいというよりは

家の中に誰も守ってくれる人間がいないことが、怖かった。

不安や恐怖との戦いが、孤独との戦いだった。

私には妹がいたから、それを守らなければ、という

使命感みたいなものもあって、緊張していた。

 

 

子供にとって、親や守ってくれる存在の不在は

たしかに、大きな意味を持つ。

でも、それが「あるか、ないか」ということそれ自体は

さほど深い意味をなさない。

鍵っ子、という言葉は私が小さい頃、すでにとても一般的だった。

「寂しい子供」はたくさんいたのだ。

だからといってなにか「悪い影響」があるかというと

そんな短絡的なことはありえない。

子供が寂しがっている様を思い浮かべると

だれもが胸が締め付けられるような気持ちになると思う。

自分が子供の頃の心細かった記憶を思い出して

守ってあげたい、という気持ちに駆られる。

でも、それを乗り越えられなかったかというと

それは、乗り越えたのだ。

 

 

彼女のお義母さんは、専業主婦で子育てをした。

そのことに誇りを持っているはずだ。

自分が自分の力をすべて割いて満たしたから、

今の立派な息子がある、と感じているのかもしれない。

そんな、自分の成功体験とは違った道を歩く嫁に対して

不安感や危機感を抱くのも、当然といえば当然だ。

 

かつてある50代の女性が私に、こんなことを言った。

仕事をしながら子育てをすることは難しいことで

それを成し遂げた人は一種の「偉人」であって

普通は母親が家にいて子供を育てなければちゃんと育たないのだ、

それを自分は達成したのだ、と。

そして身近にいる「片親」の家の子供たちが

みんなどんなに「悪くなった」かを語った。

私は、彼女に対して

自分も「片親」の家の子だった、とは、いえなかった。

 

本質的には、

だれかが仕事をしながら子供を育てあげたからと言って

彼女の人生が否定されるわけではない。

 

否定されるわけではない、のに。

人は自分と他人を比較して手応えを得たい。

Pさんの息子さんは自分とほかの子を比べて自分がかわいそうだと思うし、

お義母さんは自分と嫁を比べて、自分の子育てが正しかったと思うし、

Pさんもほかのお母さんたちと自分の生活を比べて不安になったり、

あるいは、逆に自信を持ったりすることもあるだろう。

 

 

今日は旦那がいてくれるんです、と彼女は言った。

みんなで子供は育てればいいのだ。

子供はいつか大きくなる。

それで、お母さんの人生は、その人のものだ。

お母さん、でいられる時間は限られている。

自分の人生を誰かにあげてしまう人生もあるし

一度そうして、途中で取り戻す人生もあるだろう。

あるいは、誰にも自分の人生を渡さない人もいる。

もっと別のことに自分の人生を投じる人もいる。

どれが正解でどれが間違いというのはない。

専業主婦として自分の時間を丁寧に使い、

家族をあたため生かす場を運営するのもすばらしいし、

仕事しながら人の手を借りながら子育てするのだって、いい。

私には子供がいないけれど、それだって別に

誰かと比べて不幸とか幸福とか言えはしない。

ただおそらく、一番有害なのは

「子供のために自分は、大切なものをあきらめた」

という、その結論だろう。

それは子供にとっては、のろいみたいなものだ。

これは「ために」ではなく「せいで」に近い。

自分のせいでお母さんは幸福ではなかったのだ

という負債や罪悪を生まれながらに背負わされた子供は

どんな気持ちで生きていかなければならないだろう。

たぶん、Pさんのお義母さんは、

自分の生き方に誇りを持ち、自信を持っているのだ。

満足しているのだろう。

だからその思いを、お嫁さんにぶつける。

自分のようにせよ、と言える。

 

 

ほかのぶつけ方をする女性もいる。

自分も犠牲になったのだから貴方も犠牲になりなさい、と。

こういう構造は嫁姑のあいだだけじゃなく

社会のどこにでも散見される。

部活での先輩から後輩へのしごきやいじめ、

会社組織でもよくそういうことがある。

自分がひどい目にあったんだから、おまえもひどい目に遭え、と。

ある種の復讐がそこに行われている。

 

ある人間の過去が、全く関係のない第三者に及ぼすものは、

意外なほど大きい。

私が過去に背負ったものが、私の意識とは関係なく

誰かを傷つけることがある。

自分の価値観や過去の記憶は自分だけのものなのに

人間は無意識に、それを外の人々に向かって広げようとする生き物らしい。

 

Pさんの話を聞きながら、

だいじなのは、

Pさんがそのことで、悩んでいる、ということなのだと思った。

悩んでいるから問題だ、じゃなくて

悩んでいるから、いいなあ、と思えるのだ。

息子さんのことも、お義母さんのことも、旦那さんのことも、

彼女がみんな大事にしたいと思っているからこそ、

悩みが生まれるのだ。

彼女がお義母さんのことを憎んで切って捨てられるなら、

悩みは生まれない。

関係を断ち切ってしまえばいいだけだ。

たしかに、彼女は「離れたところに住む」という選択をしたけれど、

それでも、断ち切ってはいない。

しばしば顔を合わせては、嫌みを言われたり叱責されたりしている。

息子さんも、おばあちゃんに会える。

 

 

悩むのは、

相対立する要素を捨てないようにしよう、

と思えるからなのだ。

自分さえ犠牲になればいい、というのは

愛の出所である自分を切って捨てるという意味で

もっとも無気力な考え方ではないかとおもう。

彼女が子供を犠牲にしたり、

お義母さんを犠牲にしたりしているのかどうか、は

それはほんとの実態のことは私には、全くわからないんだけど

でも、私は、そんなことはないんだろうと思うのだ。

誰も犠牲にはなっていなくて

ただ、そこにはみんなが生きていくためのつらさと悩みがあって、

そこで、できる限りお互いを大切に守ろう、という気持ちがある、

そういうことなんじゃないかと思った。

 

 

Pさんの息子さんが、

自分をかわいそうだと思っているなら、

いつか大きくなって、

本当に愛情のない環境で育った人と出会ったとき、

彼はすごくびっくりするかもしれない、と思った。

 

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