( 2008年11月30日更新 )
ふと最近、思い出したことがある。 
それは、私が学生時代にほんの少しだけ関わった
「子育て」
の現場のことだ。
大学4年、もう少しで卒業という頃、
構内の掲示板で偶然、私はそのチラシを見つけた。
ボランティア募集のチラシだった。
それまで、私はボランティアということをしたことがなかったし、
なにしろ仕送りナシ、奨学金頼りの貧乏学生だったので、
生活費と学費を稼ぐためのバイトに明け暮れており、
ボランティアなど、まったく関心がなかった。
しかしそのときは、ちょうどまとまったお金が入ったときで、
バイトに余裕があった。
そのせいか、私は詳しい内容を読んだ。
それは、ある病気の赤ちゃんのリハビリを手伝ってほしい、
というものだった。
赤ちゃんの病気とは「脳性マヒ」。
全く聞いたことのない病気だった。
募集元は、病院や施設ではなく、個人の家庭らしい。
大学の中に有志がいて、その人たちがここにチラシを貼ったようだった。
私は、ボランティア精神旺盛、という方でもなく、経験もなかったけれど
ひとつ、心にとまったのが、
「赤ちゃん」
ということだった。
私には、12歳下の妹がいる。
私が小学校5年生の冬に彼女が生まれた。
その直後に、両親が離婚した。
母は実家に帰り、職を探して働き出した。
そんな環境だったから、
だっこからミルクからおしめを替えるのから寝かしつけるのから、
赤ちゃんの世話として知られるひととおりのことは、おおよそ、やった。
妹はとてもいい子だった。
同じく子供である姉を困らせるようなことはほとんどなかった。
丈夫でかしこくてかわいい子だった。
一度、熱を出して寝込んだことがあったが
あんな小さくて弱々しいものが熱なんか出したら
すぐに死んじゃうんじゃないだろうか、とひどく不安になった。
たいしてわがままも言わず、性格的に問題の多い姉によくなつく、
健気なあの子が死んじゃったらどうしよう、と
かわいそうでたまらない気持ちになったのを覚えている。
今もあのときのことを思い出すと涙が出そうになるから不思議だ。
私も子供だったから、
言うことを聞かないと感情的にしかったり、
容赦なく叩いたりした記憶がある。
今にして思えば、本当に申し訳なかったと思うことも多々ある。
私は、たしかにひどい「母親代行」であった。
妹は私のせいで、人知れずたくさんの痛みを負ったに違いない、と思うと
いてもたってもいられないような苦しい気持ちになる。
でも、もはや取り返しがつかない。
やってしまったことは、ごめんなさいでは済まない上に
償うこともやりなおしもできない。
子育てはシビアなものだと、つくづく思う。
だが、大学生の頃は
まだそういうことには気づいていなかった。
赤ちゃんのリハビリ、というチラシを読んで、
私は赤ん坊なら慣れている、と思った。
団体や施設の募集でないのもなんとなく、気に入った。
私は組織や団体が苦手なので、あくまで個人として入れるほうがよかった。
2年生くらいから家庭教師をたくさんかけもっていたこともあり、
人の家に入って子供の面倒を見る、ということに
抵抗が薄かったのかもしれない。
たしかそんなことで、応募したのだった。
ボランティアの先輩に案内されて、
Nちゃん一家の自宅であるマンションにお邪魔した。
初めての時、誰と行ったか、などは全く覚えていない。
ただ、ビデオかテレビを見たのは覚えている。
それは、脳の何割かが「死んでしまっている」子供たちが
リハビリをして動けるようになり、バレエを踊っている映像だった。
記憶が定かではないのだが、
脳性マヒというのは、たしか、
妊娠中に起こった何らかのトラブルにより、
脳細胞の機能の多くが失われてしまうという病気だった。
人によって度合いは様々だが、
脳の何割かが失われたような状態になれば当然、
いわゆる「普通の人」のようにはならない。
四肢が思い通りに動かせなかったり、
視力や聴力など五感に障害が起こったりする。 
つまり、マヒする。
だが。
「普通の人」も、脳のほんの一部しか使っていないと言われている。
2割とか3割とか言われている。
であるならば、2割が残っていれば、
それを全て使いこなせれば、「普通の人」に限りなく近づけるはずだ。
そんなことで、多くの研究者がさまざまなリハビリを考案し、
大きな成果を上げるものもあった、らしい。
その一つが、Nちゃん一家が取り組んでいたリハビリだった。
見せられたビデオは、そのリハビリを紹介する番組だった。
初めてNちゃんに会ったときは、
一見して、そこらでよくみかける赤ちゃんと変わらなかった。
ただちょっと、目の焦点が合わない感じがしたりするくらいで、
かわいい女の子の赤ちゃんだった。
ちいさな、きゃしゃなNちゃんが取り組むリハビリはしかし
とてもハードだった。
四肢を2人の大人が左右につかみ、
それをリズムにあわせて交互に、曲げたり伸ばしたりするのだ。
Nちゃんの手足は、自分の意志とは関係なく、
硬直したり曲がったりする。
このリハビリの時はさらに緊張して、強い力で抵抗しようとする。
でも、それを有無を言わさず、大人たちが伸ばしたり曲げたりする。
Nちゃんは当然、いやがって泣く。
それを一日に何セットか、繰り返さなければならない。
これは、家族だけではとうてい、不可能だ。
そこで、入れ替わり立ち替わり、学生たちがボランティアにやってくる。
Nちゃんがいつか自分の足で立てるように、と。
私は、Nちゃんのお母さんが好きだった。
まだ本当に若いお母さんだったと思う。
Nちゃんにはお兄ちゃんがいて、3つか4つくらいだったはずだ。
みんながNちゃんに構って、お兄ちゃんが寂しがるのを心配していた。
ボランティアは、よく、お兄ちゃんとも遊んでいた。
あれはなにしろ10年以上も前のことで、
記憶がほんとうにあやふやなのだが、
白い壁紙の部屋と、赤ちゃんの甘いにおいと、
Nちゃんのお母さんの優しくて柔らかい感じを覚えている。
強がることもなく、気負い込むこともなく、
悩みも吐露し、してほしいことがあれば何でも頼んでくれて、
Nちゃんのリハビリ以外のことにも関心や興味を持つ、
すてきな人だった。
多分、彼女の涙も見たことがあるような気がするし、
悩みや不安も語ってもらった記憶がある。
リハビリ自体についても、それを信仰するようにやっているのではなく、
迷ったり悩んだり戸惑ったりしながら、
常にそのときどきの最善を選び取ろうとしている感じだった。
一人の人間として、自分をカテゴライズせずにありのまま、
悩んだり迷ったり後悔したりしながら生きている、
コミュニケーション可能な人だった。
「異世界の人」ではなく、「この世の人」だった。
「この世の人」として素敵で、生き生きしていた。
ボランティアをしたこと自体、とても短い期間だったし、
10年以上前のことで、もう完全に忘れていたのだが、
いきなりぶわっと記憶がよみがえって、びっくりした。
とはいえ、その記憶は断片的で、
肝心なところはほとんど思い出せない。
あの頃、もっとよく話を聞いておけば良かった、
そしてテキストにしておくのだった、と
激しく後悔した。
—- 
このインタビューの稿は、ふとした思いつきから、
ほとんど「試しにやってみる」というノリでスタートした。
私は東京在住で、箕面の皆さんはもちろん、大阪なわけで、
東京のお母さんに話を聞いて、
大阪のサイトにのせるのもなんか変だな・・と思いつつ、
これまで試行を繰り返していた。
だが、実はこの冬から来春にかけて、
2,3度大阪に出張する機会ができた。
そこで、
時間の合う方に、大阪でお話を伺えないだろうか!
と思いついた。
私のインタビューは、
「話してくださる方はいらっしゃいませんでしょうか」
と、挙手を求めるというへんな形でおこなっている。
ある意味、インタビュイーに甘ったれている。
普通は、インタビュアーが、立派な人やおもしろそうな人に
「インタビューさせてください」
と頼みに行くのだとおもうが、
私は相手を全く知らない状態で、お話を伺うということをやっている。
これは、私が元々やっていた「個人占い」から発生したため
そんなふうになっている。
「個人占い」は、相手に関する情報がまったくないところから、話を聞く。
そこにおもしろさがある!と思って、この「インタビュー」をやっている。
であるから、障害を持ったお子さんのお母さんかどうか、とか、
そうでないお母さんかどうか、などは、
事前にまったく知らずにやってきた。
でも、やっていくうちには、
そういうお母さんとも出会えるかもしれない。
もちろん、私の中にも、自覚できていない無意識の差別意識とか、
偏った考えや固定観念があるはずだ。
それは、誰にでもあると思う。
でもそのこともまた、隠さずに書いていければいいと思う。
もちろん、私の「インタビュー」はたった2時間で、
そこから全てがわかるわけはない。
私が書いていることはとても断片的で、
ほんのわずかな一面を切り取っただけのことだ。
さらに、インタビュイーが「書いてほしくない」ということは、
一切書かない。
原稿は公開前にかならず読んでいただき、
要望があったところは全部直している。
インタビュイーの要望によっては、公開しない場合もある。
そういう意味では、まったく「客観的」ではないし、公平でもない。
私の主観でしかないのだ。
そんなものに意味があるのか、というのは、私にはわからない。
でも、どんなに客観をうたったものでも、
結局は書き手の主観でしかない、と私は考えている。
偏向報道だのねつ造だのという言い方があるけれど、
新聞記事だってあれはすべて、記者の主観であり、新聞社の主観なのだ。
人は人間である限り、自分の主観から脱出することはできない。
どんなに客観的になりたいと思っても、
神様にならない限り、それは不可能だ。
だから、私の書くものを読んで、不快感や悲しみを感じたり、
ときには傷ついたりする方もいらっしゃる。
これは本当に申し訳ないことだし、とりかえしがつかない。
そういうときは、書いたこと自体を後悔することが多い。
書いた内容を反省することもあるけれど、
そうじゃない場合は、もう「書くこと自体をやめたい」と思う。
もう書くべきじゃない、と思ったことは、過去に幾度もある。
だけど私はいい加減でずるい人間なので、
結局、また書き始めてしまう。
これをもうずっと繰り返してきた。
どんな人でも主観からしか発信できないのであれば、
思いっきり主観で発信してみたらどうか
それには意味がないのだろうか?
という疑問符つきの立場で、私は日々、あちこちで記事を書いている。
この疑問符はたぶん、ずっと消えないと思うけれど、
消えないままでやっていくことに自分の中で明快な「ノー」が出ない限り、
たぶん、書き続けていくのではないかという気がしている。
–
さて。
そんなスタンスで聞いたり書いたりしているのですが、
こんな私に「話をしてもいいよ!」という、
お子さんをお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか!
子育てをあらかた終えた方でも、子育て中の方でも、
妊娠中の方でもかまいません。
子供が今、近くにいない、という方でもOKです。
伺った内容を、私の主観的記事にいたしまして、
このページに公開させていただきたいと思います。
インタビューをお願いしたい日時は、以下の通りです。
2008年12月13日(土) 午後16時30分〜18時30分
大阪天満橋近辺か、ご希望の場所(ご相談)
2009年2月23日(月) 午前1時〜3時
大阪梅田近辺か、ご希望の場所(ご相談)
突発的に思いついたため、
日時が限られていて申し訳ございません!
お忙しい中お時間をいただくのは本当に恐縮なのですが、
応えてもいいよ!といっていただけたら本当にうれしいです。 
お礼などはすみません、ご用意できないのですが、
お茶・ケーキ代はゴチらせていただきますし、
交通費として千円を負担いたします。
原稿は前述のとおり、一度書いた時点でチェックしていただき、
変えたいところや誤解のある部分などは修正いたします。
読んでみて、公開されたくないという場合は、
即、お蔵入りにいたします。ゴネません。
とてもわがままなお願いなので、
なかなかご応募いただけないかとも思うのですが、
もし、万が一、複数の方からご応募をいただいた場合は、
抽選とさせていただきます。
ご応募はこちらまでお願いいたします↓
http://form1.fc2.com/form/?id=290767
返信先メールアドレスを忘れずにご記入ください。
勝手ながら、2008年12月5日まで受付とさせていただきます。
抽選になりました場合でも、8日までに当落をご連絡させていただきます。
どうかよろしくお願い申し上げます!
