石井ゆかり窓越しおいたちインタビュー

2/1 石井ゆかり  窓越しおいたちインタビュー

( 2009年2月1日更新 )

 

一昨年、Kさんという女性にインタビューをした。

彼女はそのとき、お腹が大きかった。

そして去年の二月に、無事、お嬢さんが生まれた。

初産だったが、安産だった。

生まれた直後、彼女は私にメールをくれて

びっくりさせられたほどだった。

 

 

出産前、彼女はたくさんの不安を抱えていた。

赤ちゃんを産もうとする女性ならみんな感じるだろう          

と思えるような不安もあったし、

彼女の生い立ちやこれまでの経験から来る、

彼女独自の悩みもあった。

インタビューでは、それを話してもらった 。                                                     

 

 

そのとき、私は

彼女が出産したあと、また是非、話を聞きたい

と思った。

 

 

そこで、彼女の出産から約一年後にあたる先週、

彼女の話を聞きにでかけた。

彼女が住んでいるのは私が小学生の頃四年ほど住んだ土地で、

そこに行くこと自体、特別な緊張感を伴う。

 

 

久しぶりに会った彼女は、雰囲気が変わっていた。

前回は、どこか少女のようなういういしい考え深さや

きりっととんがった明るさが感じられた。

あれから一年経って、

彼女は、まろやかな美しさを身につけていた。

まるまっこいあどけなさが、面長なしなやかさに置き換わっていた。

でも、とても印象的だった大きな目の輝きには、変化はない。

 

 

彼女は、出産からもうすぐ一歳になる現在までの話をしてくれた。

このお話は私にはとても面白かったので、

改めて書き上げるつもりでいる。

で、今回は、その中で面白かったエピソードをひとつ、ご紹介。

 

 

 

 

赤ちゃんが話し始める、

いわゆる「発話」は、

「パパ」とか「ママ」などの単語を発したときだ

というイメージがある。

だが、現在の定義によると、

意味不明のあー、とか、うー、とか、声を出し始めたときから、      

「発話」なのだそうだ。

今は、たとえば「ぱー」と言うんです、とKさんが言った。

私は、それは「パパ」の意味であろう、と想像した。

しかし、ちがった。

 

 

それは、「パソコン」のことなんです。

 

 

・・・?

パソコン?

 

 

はい、パソコンが大好きなんです。

私がパソコンの画面を開いているとすぐ寄ってくるんです、

マウスが動くのが気になるみたいです。

最初は私が動かすのを見ていたんですが、

自分でもマウスに触って、

さっ、と動かすと、マウスポインタがびゅっ、と動いて

うわっ! って驚いたりして。

そういうのが面白いみたいですね。

 

 

びっくりした。

まだ一歳にならない娘さんは、                                                

ようやくつかまり立ちをするようになったくらいなのに、

すでにパソコンなのか。

 

 

あと、好きなのは携帯です。

 

 

携帯?

 

 

私の携帯をいじりたがるんです、

リダイヤルとか短縮ボタンとか、簡単な操作をしてみたがって、

そのへんに置いておくと、自分でかけちゃうんです。

あとで友達から電話がかかってきて

「さっき電話来てたよ−、何かしゃべってたよ」って(笑)

私の父にもよく電話してるみたいです。

だから父は「早く短縮からはずしてくれ」って言ってます。

 

 

びっくりした。

すでに現代っ子、ということなんだろうか。

それがなんなのか、よくわからなかった。

すると、Kさんはこう言った。

子供のおもちゃには、あまり反応しないんです。

大人の使っているモノに興味を持つんですね、

エアコンのリモコンとかも大好きですし、

機械が「ピッ」とか鳴らす音に、よく反応します。

 

 

なるほど。

子供だましなのか、

「本気」のものなのか、

という区別をしているのだ。

おもちゃ屋さんには、子供用の携帯電話風おもちゃなどもあるらしいが、

それでは全く納得がいかないらしい。

Kさんの友人のお母さんたちも、同じようなことを言うそうだ。

あるお母さんは、息子があまりにも自分の携帯を触りたがるので、

電気屋さんに行って同じ機種のディスプレイ用のサンプル品を借りてきて

それを「はい、ママと同じだよー」と渡したのだが

それでも、それは「ちがう」と解っていて

ほとんど関心を示さなかったそうだ。

おそるべし。

 

 

なんでも、親と同じことをしたがるんです。

「ママと同じだよ」というと納得するんです。

食べるものも、大人と同じものを食べたがるし、

私が歯磨きしていると、自分も磨きたがります。

前歯しかないのに、奥歯も磨いた気になっていたり(笑)

まだ意識が母親と分離していないから、

母親がやっているからやる、となるみたいです。

 

 

自分が子供の頃はどうだっただろう、

と一瞬、想像したが、

そもそもそんな一歳にもならない幼い頃のことは

覚えているわけもないのだった。

奥歯も生えてない幼い赤ちゃんが、

一生懸命、文字通り背伸びをしまくって、

大人と同じことをしようとする。

それも、「ストイックに努力する」というのではなく

頑固に、ワガママに、それをしようとするのだ。

そうしろといわれないうちから

そうするのだ。

「まだそんなむずかしいものはわからないだろう」

という大人の配慮を飛び越えて、

何が何でも本物がイイ

と、手を伸ばすのだ。

ダメ!って言われても、無視なのだ。

 

 

それは、母と子供が密着していて

「お母さんと同じことをする」

ということなのか。

なにかと「同じ」であることは、

子供にとっては大切なことなのだろう。

自分がなんなのか解らない中で

見えているのは、身近な大人たちだ。

だから、それらと「同じ」でなければならない。

それらと早く「同じ」にならなければならない。

そういうことなのだろうか。

 

 

赤ん坊は自分一人では生きていけないから

守られ、世話をされなければならない。

でも、その無力なイメージと

赤ん坊のこの「能動性」にはギャップを感じるほどだ。

彼らは確かに多くのものを必要としているけれど

でも、決して世界に対して受動的ではない。

自分から手を伸ばして掴む。

立てと言われなくても、立とうと試みる。

 

 

牛や馬の赤ん坊は、生まれたらすぐに立つ。

でも、人間の赤ん坊は、

歩けるようになるまでに一年以上もかかる。

つまり、他の動物よりもずっと、

身体的に、未熟な状態で生まれてくる。

でも、心や頭脳は、そうじゃないのだ。

心や頭脳の方が体を追い越して

大人と同じようになりたい、と思うから

まだ熟さない体にむち打つように、

時にいらだちで泣きわめきながら、

どうしても手を伸ばすのだろう。

 

そんなアンバランスなパワーを

身近にいる大人は、受け止めなければならないのだ。

たった一年会わないうちに

Kさんの雰囲気がすっかり変わってしまったことに

それだけでも、なんとなく、納得がいく気がする。

お嬢さんが立ち上がろうとする様子を

携帯の動画で、少しだけ見せてもらった。

何度もトライして、尻餅をついて、

でもまた立ち上がろうとする必死な姿と、

母であるKさんの夢中で応援する声が、

そこに、一緒になっておさめられていた。

 

 

あの、何度も立ち上がろうとする、

生き生きした力そのもの、

むきだしの意志みたいなものは、

大人になると消えてしまうんだろうか。

だれもがそういう「どうしても手を伸ばす」という力を

赤ん坊の頃には、持っていたはずなのに、

自分のなかにそういう力を探してみても

見つからないような気がした。

ダメ!って言われてもそれでもやってみたいこと

って、最近何か、あったろうか。

 

 

だけど、昔はたしかに、やっていたんだから

今もどこかにはかすかに、その波動が残ってるんじゃないか

という気がしてならない。

 

 

Kさんの話には

「変化」

がとてもたくさん出てきた。

私は占いでしばしば「変化」という言葉を使うけれど

それが具体的にどういうことなのかは

いまいち、うまく説明できないでいた。

Kさんが話してくれた「変化」は、

赤ちゃんの変化は勿論、

Kさん自身の変化、Kさんの両親の変化、旦那様の変化、

さらにもっとたくさんの人々の変化全てに及んでいた。

 

 

赤ん坊みたいに「どうしてもそれがほしい!」というような

むきだしの思いっきりのパワーじゃなくても

人間は、変化する生き生きした力を

いくつになっても、持っているのか

という気がしてきた。

Kさんのお話には、そういうことが

ミルクレープのように層状に入っていた。

 

これからしばらく、断章を連ねるように

その「変化」のお話を書いてみたいと思う。

 

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